それでいいよ

 

 

 

「世界がほほえむ音を聴かせたい」

 

すこしヘンな思いにとらわれていた。

バルセロナの街を走るバスに揺られていた。

サグラダ・ファミリアを訪れたのは2026年8月10日。

スペインに皆既日食が訪れる2日前だった。

 

 

バスの窓から、サグラダ・ファミリアとその向こうに広がる青い空を眺めていた。

まだ建築途中の教会。

まちのシンボル。

正式名称は、聖家族贖罪教会。

 

家族と贖い。

ちょっとギョッとするイメージ。

そのイメージに引っ張られていた。

 

 

完成したイエスの塔の十字架のそばには「黄色いクレーン」が寄り添っていて、その光景を眺めていると、すこしだけ胸がキュッと縮んだ。

なぜだかわからないけど、すこしだけ胸がキュッと縮んだ。

ほんとはその理由をたぶん僕は知っている。

でも、うまく言葉にできない。

まだ、うまく思い出せない。

 

 

クレーンと教会と空を眺めながら、記憶を漁っていた。

3年前に東京で触れた「未来の思い出」のようなものがずっと気になっていた。

この日バルセロナにきたのは、その記憶を確かめるためだった。

 

「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。故に独創とは、創造の起源に還ることである」  

アントニオ・ガウディ

 

2023年、東京、夏。そのとき暮らしていた伊豆高原から電車に乗って、皇居のすぐそばにある東京国立近代美術館の『ガウディとサグラダ・ファミリア展』にいった。

展示の途中、サグラダ・ファミリアの歴史も踏まえた建築にかんする映像が5分〜10分程度上映されていて、僕はそれに見入っていた。

その映像作品の最後で、haruka nakamuraの『光(feat カントゥス)』が流れてきた。

 

 

聴いたことがないのに、聴き覚えのある声。

触れたことがないのに、知っている音。

 

  

懐かしいとも新鮮とも言える音色に心をうばわれた。

こころのなかにある、静かな場所。

その扉がひらいた。

扉があることすら忘れていたその場所に、響きが満ちていく。

その響きを、ただただ感じていた。

 

嬉しいとも悲しいとも違う、”優しさ”のような何か。

その「何か」に、からだが反応していた。

「それでいいよ」と言われてる気がした。

思い返せば、僕はこの瞬間、もうすでにバルセロナに行くことを決めていた。

 

未知なる音が知らせる記憶の断片。

「未来の思い出」が音に乗ってやってくる。

その音を辿りながら、僕たちは、「生まれるときに決めてきたこと」をすこしずつ思い出していくのだろう。

そんなことを思いながら、この夏、スペインへの旅を始めたのであった。