22@

 

 

 

「22@」という場所を知ったのは、たしか一年ぐらい前だった。

この「22@」という文字をみた瞬間、「ここに行きたい」と思った。

「ここで生きたい」と思った。

とにかく「名前」が気に入った。

ただそれだけの理由で惹かれた場所へ、実際に訪れた。

 

 

バルセロナのポブレノウにあるイノベーション特区、22@。

ポブレノウは、古い文化を残しながらもスタートアップと共存する、都市開発、経済、社会変革のバランスのとれた場所として有名らしい。

「カタルーニャのマンチェスター」と呼ばれたこの工業地帯は、1960年代移行に衰退し、工場や倉庫が遊休化しつつあったが、その「生産」の”意味”を書き換えることで「再生」を図ったという。

工業から、知識・デザイン・テクノロジーへと生産様式を変え、新しい知識集約型の生産活動を許容する方向へ、変化を受け入れた。

ICT、メディア、医療、エネルギーが、計画当初の重点的な産業クラスターだった(後にデザインも追加された)。

22@はそれらを中核にすえる実験場になっているらしい。

今では街中に小洒落た「倉庫」がたくさん並んでいる。あたらしいオフィスや店舗として再生したのだ。

  

なんだか面倒な話だけれど、ようするに、「重たいモノづくり」から「軽いモノづくり」に変えたのだろう。

時をかさねて増えていった「余計な荷物」をおろしたくなったのだろう。

時代の流れは「もっと軽く」である。

風に吹かれるくらいがちょうどいい。

 

バルセロナ全体がそうらしいけれど、「市場を都市政策の内部に組み込みながら、その利益の一部を公共空間・住宅・インフラへ変換する都市統治」というのが大まかな戦略らしい。

なにはともあれ、色んな要素が「ミックス」されていて、テクノロジーと市民自治のバランスを見極めるベンチマークとしてグッドだ。

メディアと医療とエネルギーを「生産様式」として生きていこうとしている身(ほんとはもっと細かい)にとって、こんなにちょうどいい場所はたぶんあまりない。

ごちゃごちゃした時代のなかで、「次の在り方」をさぐる場所としていい感じである。

 

なんてゴタクをごちゃごちゃとならべてみたけれど、ぶっちゃけそんなことはどうだってよかった。

ただ「名前」が気に入ってしまっただけなのだ。

「名前」に惹かれて、どうしても行ってみたくなったのだ。

「22@」という文字をみて、「バルセロナに呼ばれた」と思ってしまったのである。

 

この「事情」を知らない人にとっては訳のわからない話だろうが、きっとそのうちすぐに伝わると思う。

隠すほどのことでもないけれど、「22」という数字は僕にとって特別な意味を持つのである(迷信を多分に含む)。

 

 

夕暮れどき、「街歩き」をしたあと、ポブレノウの海のちかくのシーフードレストランへ行った。

めんどくさくてかたっくるしい話はほったらかして、ここに住むひとがどんな「表情」で暮らしているのかを見てみたいとおもっていた。

おいしいものを食べながら、実際の「暮らし」がどんなものなのか、見てみようと思った。

 

 

魚介のスープ。タラの炭焼き。りんごジュースを注文。

パエリアが食べたかったけれど、パエリアは2人以上からじゃないと注文できないみたいだった。

カタルーニャやバレンシアのレストランでは、だいたいどこもそうらしい。

知らなかった。

残念だったけど、「つぎ誰かと一緒に来たときにチャレンジすればいいや」と思って、あっさり諦めた。

 

陽の光がだんだん弱くなっていくテント張りのテーブル席で、ひとりでスープを啜っていた。

歩き疲れたカラダに「複雑な味」がしみこんでくる。

思わず、「うまっ」と独りごちた。

聴き慣れないスペイン語が耳に飛び込んできて、それが心地いい。

 

おじいちゃんとおばあちゃん、ベビーカーを揺するお母さん、旅行者らしき男4人組、深いシワのある笑顔のサーバーのおじさん。

色んな人が、テントの下で談笑していた。

慣れない場所で、「海の味」を感じる時間。

なんだか安心した。

これから、きっともっとスペイン料理を好きになると思う。

 

スペイン贔屓になっているからなのかわからないけど、ここにいる人たちはみんな「いい顔」をしているなぁと思った。

すくなくとも、日本でみかける光景とは随分ちがっていた。

AirPodsで耳にふたをして、スマホを眺めながらご飯を食べてる人が全然いなかった。

みんな、ゆっくり、目の前の人と一緒に過ごす時間を愉しんでいた。 

 

「画面の中」とは、全然ちがう世界がそこにはある。

ご飯を食べるときぐらい、ちゃんと「世界」に触れていたい。

もしここで生活することになれば、きっといい「リハビリ」になるだろう。

ホロホロするタラの炭焼きを頬張りながら、そんなことをあれやこれやと考えていた。

 

 

「テクノロジー」が生活を豊かにすることは、おそらくない。

ただ、最初からあった「豊かさ」を”拡張”するだけだ。

0から「何か」を生み出すのは、テクノロジーの役割ではない。

 

「イノベーション」がもたらす恩恵も、少数者のものでしかないことは歴史が証明した。

結局のところ、人生の豊かさは、「目の前の人」とじっくり向き合うことからしか生まれない。

道具は、単なる補助だ。

 

 

21時過ぎ。食事を終えるころには、あたりはすっかり暗くなっていた。

陽の光の気配がかすかに残る道路には、街灯の光が暖かく灯っていた。

その道路を渡って、一日の終わりを確かめるべく、海に向かった。